Be-1誕生 1985年の東京モーターショーの日産ブースに黄色いカボチャの様な形をした可愛いクルマが現れた。その名も日産Be-1。当時、新車と言えば、ツインカム、ターボ、XX馬力、マルチリンクサスペンションなど、動性能で競合他社車を凌駕する競争に明け暮れている中で、見た目のデザインだけでこれだけ人の目を引くクルマは逆に新鮮だった。僕は、その黄色いBe-1の前で、時間が経つのも忘れ、ただただその形に魅了されて立ちすくんでいた。
発売後、30年を経てもなお色褪せないデザインの斬新性、秀逸さは、今でも素晴らしい。丸を基調としたエクステリアデザイン、内装デザインの完成度は高く、当時のデビューは衝撃的であった。
わずか1万台限定生産で180万円の価格で発売されたBe-1はたった2か月で完売した。あまりの人気で中古車市場は高騰し、一時は販売価格の二倍で取引された。 当時、日産自動車商品主管の清水潤氏とデザインの渋江建男氏から、「これまでのカーデザインの常識を覆す様な提案をお願いしたい」と依頼を受けたウォータースタジオの坂井直樹氏が手掛けたと言われる。当時ウォータースタジオ活動していたファッションビジネス業界はIT産業のような新興産業だったが、重厚長大と言われた自動車産業とは全く反対の価値観にある産業からの視点からの斬新な提案を実際に採用し、量産まで実現した当時の日産自動車の懐の大きさを改めて認識することができる。
このBe-1の成功を機に、日産はその後、Pao、Figaro、Rasheenなどのパイクカー商品群を順次発売し、一世を風靡した。 収益にはほとんど貢献せず、むしろ赤字車種だったと後から聞いたが、当時の日産の懐の大きさを感じる出来事だった。単一プロジェクトとして収益的には決して成功だったとは言えないものの、先見性のある取組だったと推察できないだろうか。
BMWが英国のミニを買収して、確固たるプレミアムブランドとして復活させ、フィアットも500(シンケチェント)シリーズで丸くて可愛い高級車ブランドを訴求している。何かに似ているようで何にも似ていない、Be-1 コンセプトをという財産を使って、日産もプレミアム・ミニの領域にチャレンジするべきではないか。Be-1 を核に「Be」ブランドを確立すれば、スポーツカーの「Be-S (Sports)」や SUV の「Be-X (Cross)」など、新しくエモーショナルな商品展開も可能であろう。
日産のDNAとは?
クルマのブランドには2種類あると思う。欧州系を中心とした「専門店型」と、トヨタやアメ車に代表される「百貨店型」だ。「専門店型」のブランドはブランドアイデンティティを最重視し、クルマの顔を基本的に統一デザインにし、クルマ全体のデザインテーストも均質化する。
「あっ、これはアウディだね!」などと一目でわかる。ここ10年来のマツダもこの手法を取っており、残念ながら日産もあまり良いイメージと言えない形でこれを追いかけてしまっている。
一方、「百貨店型」というのは多種多様なコンセプトを取り揃え、色んな価値観を持つ多様なユーザーが自由自在に自分の好きなイメージ、タイプ、デザインの商品の選択肢を提供しているブランドだ。トヨタもそうであるが、アメ車は本来このカテゴリーに入る。
当時の日産の一台一台のクルマたちには開発者たちの情熱と魂が注がれていた。そして、それぞれのクルマたちがそれぞれのコンセプトに応じた様々な場面でそれを使う人々に多くの感動と共鳴を与えていた。
「あっ、これが日産だね!」。個性あふれる色々なクルマたちが楽しく融合されたハーモニー、「日産」というブランドを演出していた。本来「日産」とは、まさに幕の内弁当の様なブランドではなかろうか。
I Love Nissan
クライシス後の自動車業界で生き残るためには、コモディティ商品に陥らず、オンリーワンの価値を創造して世界のマーケットからの強い支持を得る事が必須である。国際化した強みで和洋折衷の最高の商品群を早く安くどんどん投入し、本来のDNAを取り戻す。これこそが日産復活の鍵ではないかと強く感じる。
元気だったころの「ワクワク楽しい」日産自動車に帰ってきて欲しい。心からそれを願う。 僕にとって、日産は愛していたのに分かれてしまった恋人の様な存在。だからブルーバード、スカイライン、セドグロ、Z、シルビアなどのかつての名車達について、趣味のレンダリングを添えて語りたい。
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